多摩ロハ・レポート
大国魂神社
ややしばらく来てなかった大国魂神社。
府中が職場だったこともあるんで、すぐ近くにはいたんだけどね~。
ココには恐怖の記憶があります。
それは『くらやみ祭』。
ここらではスーパー有名なお祭りなんだけど、遡ること20年ほどま前、、、
中学生のおれっち神輿担ぎに参加したわけです。
その頃から背は高いが華奢な体つき。
ほいでメッチャ厳ついおっちゃん連中に混じって
『エイサー』『ホイサー』やるわけです。
そのタイミングを外すと担いでる角材が肩をいガッコンガッコン打つんすよ~。
はっきりって生まれたての小鹿を木刀でガシガシ叩くが如く(><)。
肩の皮はズルむけでとにかく角材よけるのに必死だっただけで、
いい迷惑だったことでしょー。
ここは由緒ある歴史があるよー。なにせ武蔵国の総社ですから。
大國魂大神[おおくにたまのおおかみ]を武蔵の国魂の神と仰いでお祀りしたものである。
この大神は素盞鳴尊[すさのおのみこと]の御子神でむかしこの国土を開拓され、
人民に衣食住の道を授け、医薬禁厭等の方法をも教えられこの国土を経営されたが、
天孫降臨に際してその国土を、天孫瓊々杵[ににぎの]尊にたてまつり、
出雲の杵築の大社に
鎮座されました神であることは、世に知られるところである。
又、国司が国内社の奉幣巡拝、又は神事執行等の便により国内諸神を配祀した、
これが即ち武蔵総社の起源である。
後に本殿の両側に国内著名の神、六所[ろくしょ]
(小野大神・小河大神・氷川大神・ 秩父大神・金佐奈大神・杉山大神)
を奉祀して、六所宮とも称せられるようになった。
又、天正十八年(1590)八月、徳川家康が江戸へ入城してからは、
武蔵国の総社であるために殊に崇敬の誠をつくし、
社領五百石を寄進され、 社殿及びその他の造営に心力をつくされた。
五月五日には例大祭が行われるが、この祭が有名な国府祭で、当夜八基の神輿が
古式の行列を整え、消燈して闇夜に御旅所に神幸するので、
俗に「闇夜[くらやみ]祭」といわれている。
現在では昭和三十六年(1961)より神輿の渡御は夕刻に改められた。
ここは気が凛としていてアブストラクトな怖さを感じるときがある。
なぜだか分からないけど。
けやき並木の途中に源義家さんがいる。戦勝祈願成就のお礼にけやきを1000本奉納。
今の緑の中での立ち振る舞いが凛々しい。
ココ大国魂神社には朝早くから一人、また一人と参拝する方々がいる。
祈るという行為を何度も何度も繰り返して見てると誰に何をしてほしいだろう。。。
もちろん大國魂大神にお願いしてるんだと思う。
でも20代以降幅広い世代の人たちが来てるのを見ると特定の神様に祈りをというより、
祈りたいこと、お願いしたいことがあって、その行為をする場所として
こういった神社が使われているように感じてきた。
もっともっと抽象的な存在に対して。
山本コヲジ